でもとだっては禁止する人

こんにちは!人に影響されやすいネット弱者でネット依存症のわらしです

自分は何者か社会的なことは何も言わないまま、あなたは誰わたしは誰したいと思います

 

『でもとだっては禁止』

この言葉を初めて見たのは、マンガ『ちはやふる』でメインキャラクターの母親が息子に言った言葉だったと記憶しております。その当時ちはやふるすきだったので、それを見てむふーわたしもがんばんなきゃ!!と思ったんですよ。と、思っていたんですよ。

当時からしないことができなくて、努力が足りないとか、ネガティブ思考のせいなのでは?と思っていつも通り反省して自己評価を下げていたんですが、だんだん、でもとだっては禁止を見るたびにそれ言う人と距離とるようになりまして、最近になってそれがどんなに人を苦しめる言葉なのかわかってきたんですよ。

 

誰が言ってんの

『でもとだっては禁止』この言葉は合いの手として使われると相手の話が続かないよというのと、何かを成し遂げるためにネガティブな言葉は使わないでという主に二つの用法があるのですが、どちらも禁止する必要ないと思っています。

なぜなら、自分は標準的なキレ度の持ち主だと思っていますが、わたしとまともな人だと思っている周りの人はそれを言われても気にならないからです。つまり、それを禁止している人とそれを言われてキレる人を相手にしている人だけが、でもとだっては禁止だとしているのです。

 

生存者バイアス

二つの用法のどちらも言っている人、支持している人に生存者バイアスがかかってます。気づきませんか?あなたと提唱者との壁が。その言葉の流行をみて実践しているんだって言っている友人とも壁があります。

著名人で言っている人、例えばパックン、彼はうら若き学生を相手にしています。こころやさん、彼はいつも病んでいる人を好きなように相手にしています。そして二人ともなんだかちょっと成功して見えます。ほかにどんな人が禁止していますか?社長?自意識の高い友人?ママ?上司?

言っている人がどの程度実施しているのかわからないですが、言っている人が成功するんじゃなくて、成功している立場にいるうちのある種の特徴を持った人がたまたま言っているだけの言葉、そして言っている人の『成功』に一役買っている、偽物の成功をつかめるそんなマジックワードが『でもとだっては禁止』なんです。

 

考えてもみなよ

言葉って何世紀も変わりながらほとんどのことは別の言葉に訳せるんです。よく使われるある言葉やそれに類する考えを禁止することは、思考方法にものすごい制限になるんです。ロジックの言葉は必要なものしか使われていないんです。

でもとだってってほとんどがしかしで代用できます。ほかにけれども、現に、あるいは、というよりも、えー、それだったら、だったら、かわりに、それはなどで代用できます。付加や理由や反語を述べる前の接頭辞すべて禁止しますか?日本語使えますか?

でもとだってだけ禁止しますか?言い方の問題ででもとだっての言葉の響きだけだめってことですか?考え方を、ほかの言葉であらわしているのならOKと?それなんの効果があるの?

でもとだってで表現される考え方すべてを禁止するのは、異論も言い訳も疑問あたりも受け付けないってことですよね。それって、すべてが完璧な指示のもと命令が実行される軍隊とかプログラミング並みの世界というか少なくとも家庭とか職場で望む形ではないです。

 

でもとだってって何

まずチラ裏に「でも~(自分が言いそうな言葉)~」と吹き出しを書いてみて、それを言ってそうな人相を描いてみてください。わたしはこどもか、気の弱そうな男性か、パートナーといる成人女性が思い浮かびました。でもとだっては禁止だと言っているひとはそれを禁止だとかみっともないって言っているんです。

つまり、私の絵の中では、親に対してのこどもや、何かを押し付けられた男性や、どうしようもなくて残念な結果になったからせめてできることをした女性なんかが、だめってこと。つまり、禁止する人まで描いたら弱い立場の人は口答えするなの図になりました。

それを?自分に?課しますか??

 

いいこともあるよ

でもとだっては確かに弱い感じがするので、武装するには不向きな気がします。でもとだってをすぐ言いそうになる人間関係は避けたらいいと思います、言いそうになる人のほうから。

松岡修造本で自分を奮い立たせているときは使えばいいと思います。ただ、その習慣は体得してしまうと他人と話しているだけで迷惑になることがあるので用法容量は確実に守るか、二年くらい無人島に行くのがいいでしょう。

 

でもとだってで起こるもの

でもとだってと言っているときに身体は拘束されて苦しくて重いって言いながら除けるそんな感じがするし、聞いているほうも、(内容以前に)そういうイメージを共有・再現してしまうものなんですよね。ひとが避けることばってそういう再現性のある言葉が多いです。

それで相手が不機嫌になったとしたら、それは難しい相手なのかもしれません。

たしかに会話ででもとだってが続くと話が前に進まないとか、わたしは反語を言いすぎて失敗した経験があります。ただし、ものは程度や場所の問題で、そこで「だったらこうしたらいい」とか、「やってみたら~だった」で終わればいい話。

 

というわけでこの辺で